脳障害状態での自宅売却で遺族が提訴/意思能力と契約について
2022/10/07 コンプライアンス, 民法・商法, 住宅・不動産
はじめに
重度の脳障害で判断能力を欠いていた男性が病死する前日に行った自宅の売却は不当であるとして、男性の遺族が不動産会社を相手取り損害賠償などを求め提訴することがわかりました。男性は精神障害者福祉手帳の交付を受けていたとのことです。今回は意思能力と契約の効力について見ていきます。
事案の概要
報道によりますと、男性は2017年5月に交通事故の後遺症で高次脳機能障害と診断され、記憶力と認知機能の低下で働くことができなくなったとされます。男性は生活資金の援助を受けられる精神障害者保健福祉手帳の交付を受け、大阪市内の就労支援施設に通っていたが、今年6月に大阪市西淀川区の集合住宅の一室で倒れているのが発見され搬送先の病院で死亡したとのことです。警察から連絡を受けた遺族が調査したところ、男性は死亡の前日に自宅を2200万円で不動産会社に売却され、その1ヶ月後には別会社に転売されていたとされます。男性の遺族は契約書や実印も存在せず、代金が入金された形跡もないとして不動産会社を相手取り提訴しました。
意思能力と法律行為
売買契約など、法律行為を行うためには意思能力が必要とされます。意思能力とは法律行為の意味を理解する能力のことです。一般的には7歳から10歳程度で意思能力は備わると考えられております。この意思能力が無い状態での意思表示、法律行為は無効となります(大判明治38年5月11日)。自分が何をしているのかも理解せずにした行為は無効ということです。意思能力が備わっている年齢でも、事故の後遺症や高齢による認知症、高度の精神障害、泥酔などによって意思能力が欠如する場合があり、このような状況で行われた意思表示、法律行為もやはり無効となります。そして意思能力の有無は個々の法律行為ごとにその難易度や重要性なども考慮して、その行為の結果を正しく認識できていたかで判断するとされます。給料や簡単な買物は理解できても、数100万円以上の消費貸借契約や利息契約は理解できているとは言えず、連帯保証契約が無効となった例もあります(福岡高裁平成16年7月21日)。
行為能力の制限と保護
民法では未成年者など、一般的に意思能力が不十分とされる者の行為能力を制限し、それにより保護する制度が設けられております。未成年者が法律行為をするには法定代理人の同意を要し(民法5条1項)、同意なく行われた行為は取り消すことができるとされます(121条)。そして成年者でも一定の要件の下で行為能力を制限することによって保護が図られております。まず精神上の障害により事理弁識能力を欠く状況にある者に対し裁判所の審判によって後見人を付ける成年被後見人制度があります(7条)。成年被後見人は原則として単独で法律行為が行えず、後見人に代理権と取消権が与えられます。事理弁識能力が欠如してはいないものの著しく不十分である場合には保佐人が付されることとなります(11条)。被保佐人は、借金や保証、不動産などの売買、新築・改築、相続放棄、遺産分割、訴訟行為など一定の行為に関して、保佐人の同意が必要となります(13条)。事理弁識能力が不十分であるという場合には補助年が付されます(15条)。補助人は裁判所の審判で同意権または代理権が付与されます。同意権は先程の13条の行為の中から選択されます。いずれも本人や配偶者、4親等内の親族、検察官等の請求により審判されます。
意思能力が問題となった事例
上記のように後見や補佐、補助の審判がなされていれば、法律行為は事後取り消すことが可能です。それらの審判がなされていない場合は制限行為能力を理由に取り消すことはできませんが、意思能力を欠くことを理由に無効となる場合があります。実際に無効とされた例として、認知症を罹患していた90歳の高齢者が、住んでいた不動産を著しく不利な条件で売却した例が挙げられます。裁判所は、売却代金が非常に低廉で不利なものであり、合理的判断能力を有する者の行動としては理解し難いとして無効としました(東京地裁平成20年12月24日)。アルツハイマーに罹患していた者が自宅を売却した事例でも、裁判所は売却によって住居を失い、代わりの居住先が必要となるという極めて容易に予想できる問題点にすら思い至らないほど症状が進行していたとして判断能力を否定しております(東京地裁平成21年10月29日)。
コメント
本件で男性は交通事故の後遺症によって高次脳機能障害となり、記憶力と認知機能が低下していたとされます。そして病死する前日に大阪市内の3階建ての居宅を不動産会社に売却していたとのことです。男性の遺族は弱みにつけこんだ不当な契約であり無効であるとして不動産会社を提訴しております。男性にどの程度の判断能力があったのか、契約の経緯や契約内容、その他の事情から今後意思能力の有無が判断されていくものと考えられます。以上のように民法では一定の意思能力が不十分または欠如している場合の本人保護の制度を置いております。また意思能力の欠如による無効とは別に公序良俗違反で無効とされた裁判例も存在します。なお現在成年後見や保佐の審判の有無は法務局での登記により確認することができます。取引相手の判断能力に不安がある場合はこれらの点に留意して慎重に進めることが重要と言えるでしょう。
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